『ロイヤル・アッシャー、輝きの物語』では、創業170周年を迎える“ロイヤル・アッシャー”の魅力を業界の有識者、及びブランド関係者それぞれの視点、角度から語っていただくことで、170年の歴史を辿るとともに、新たなブランドの魅力を来年の1月までの全6回でお伝えしてまいります。第3回は、イギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治史、世界の王室研究をご専門とする、関東学院大学教授の君塚直隆氏に「ロイヤル・アッシャーと英国王室」をタイトルに、世界最大のダイヤモンド原石「カリナン」カットの成功とその後、英国王室に納められ、クラウンジュエルに生まれ変わったカリナンの今にまつわるストーリーを語っていただきます。

ロイヤル・アッシャーと英国王室

このたびはロイヤル・アッシャー創業170周年、誠におめでとうございます。「ロイヤル」の称号を授与されたオランダ王室と同社との関係はつとに知られておりますが、やはりロイヤル・アッシャーといえば世界に冠たる「カリナン」ダイヤモンドのカッティングを手がけたことで、その名を一躍とどろかせたのは有名ですよね。そこで本稿では、英国王室にいまも伝わるカリナンのお話を中心に語らせていただくことにいたします。

皆様もよくご存じのとおり、20世紀初頭の段階で英国は「七つの海を支配する大英帝国」と呼ばれ、世界の陸地面積の5分の1を支配する最大の大国でした。特に南アフリカは英国に黄金やダイヤモンドをもたらすまさに宝の山でした。ここで1905年にカリナン氏が所有する同地の鉱山で見つかった3106カラットもの原石が、南アフリカの政府から当時の英国王エドワード7世(在位1901~1910)に献上されることとなり、そのカッティングを依頼されたのが、すでに銘品「エクセルシオー(Excelsior)」で定評を得ていた、アムステルダムのアッシャーでした。アッシャー家の人々はロンドンにある英国植民地省に原石を受け取りにわざわざ渡航し、その大きさには唖然としたようですね。

そして帰国後に見事なカッティングをおこない、9つの美しいダイヤモンドが誕生したのです。最大のカリナンⅠ世は王笏(おうしゃく)に、次のⅡ世は「大英帝国王冠」にそれぞれはめ込まれました。そしてこのカリナン・ダイヤモンドをこよなく愛したのが、ジョージ5世(在位1910~1936)の王妃メアリでした。彼女はカリナンⅢ世とⅣ世を夫の戴冠式の際に自らかぶる冠に配置させ、ⅤからⅨにいたるすべてのダイヤモンドもブローチやペンダント、さらにはリングなどにあしらって、毎日のように身につけていたようですね。

メアリ王妃は、現代英国王室でも無類の宝石好きで知られました。現在も王室内で愛用されている宝石の多くは彼女が集めたり、作り直させたものですね。なかでもカリナンのⅢ世とⅣ世を組み合わせたブローチは、総計で158カラットという世界最大級のダイヤのブローチとなりますが、メアリ王妃はこれをしばしば公式行事の際に身につけていました。

左)カリナンⅢ世とⅣ世のブローチを身に付けたメアリ王妃Photo by W. and D. Downey / Getty Images
右)カリナンⅢ世(下)とカリナンⅣ世(上)

このブローチを間近でご覧になった日本人がいるのです。高松宮喜久子妃です。妃殿下は高松宮宣仁親王とご結婚された直後の1930(昭和5)年、ヨーロッパにハネムーンへとでかけられました。とはいえそれはご公務だったのです。この前年(1929年)、ジョージ5世から昭和天皇に英国最高位のガーター勲章が贈られましたが、その返礼使として高松宮ご夫妻が大役を仰せつかったのです。6月にロンドンに入り、ご夫妻はバッキンガム宮殿にお泊まりになり、ジョージ5世ご一家から大歓待を受けました。

その宮中晩餐会の折、国王のお隣に座られた喜久子妃の対面がメアリ王妃のお席でした。そのときのことを回想された喜久子妃の文章は次のようなものです。「胸につけられたお飾りのダイヤモンドは実に見事なもので、世の中にこんなに大きなダイヤがあるのかしらと思う位で、お動きになる度シャンデリアの光にかがやくその胸を感嘆して拝見していた」(高松宮喜久子『菊と葵のものがたり』中央公論新社、1998年、257頁より)。

喜久子妃といえば最後の将軍徳川慶喜の孫にあたり、皇室に入られてからも数々の銘品をご覧になってきましたが、その妃殿下でさえ驚嘆したメアリ王妃の胸飾りは、おそらくカリナンⅢ世とⅣ世を組み合わせた、王妃が最もお気に入りのブローチだったはずですね。

この巨大なブローチは1953年、メアリ王妃が亡くなったあとに、彼女がかわいがってやまなかった孫娘の「リリベット」ことエリザベス2世女王(在位1952~2022)に受け継がれました。70年以上に及ぶ英国史上最長の在位を誇り、2022年9月に崩御(ほうぎょ)された女王にとってもこのブローチはお気に入りのひとつでした。とりわけ、2012年6月に女王の在位60周年記念式典、いわゆる「ダイヤモンド・ジュビリー」をお祝いしたときには、その4日目の最終日にセント・ポール大聖堂で記念礼拝がおこなわれましたが、女王陛下の左襟元にはこのカリナンⅢ世とⅣ世のブローチがキラキラと光り輝いておりました。

その女王が「おばあちゃま」と慕ったメアリ王妃もなしえなかったこと。それがカリナンⅠ世がはめこまれた王笏を手に持ち、カリナンⅡ世が中央部で輝く大英帝国王冠をかぶることでした。1953年6月におこなわれた戴冠式では、まさにそのような女王の姿が現れ、英国を代表する稀代の写真家セシル・ビートンにより美しい肖像写真に収められました。

1953年写真家セシル・ビートンによるエリザベス2世女王陛下の肖像写真。ヴィクトリア&アルバート博物館所蔵。CECIL BEATON & ALBERT MUSEUM,LONDON

実はそのお姿は晩年まで見ることができたのです。エリザベス女王は文字通りきまじめな君主でした。「議会政治の母国」である英国では、毎年、議会の開会式が厳かにおこなわれ、女王は大英帝国王冠をかぶられ、ガーター勲章の頸飾をくびにかけて、長いローブという出で立ちでこれに臨んでおられました。しかもこの1.2キロぐらいの重い王冠を、なんと90歳を過ぎられてからもきちんとつけて、貴族院の玉座に登壇されていたのです。

議会開会式で大英帝国王冠を被られたエリザベス2世女王陛下 Photo by WPA Pool / Getty Images

その女王の70年にわたる治世を引き継ぎ、2023年5月6日にウェストミンスター寺院で執り行われたのが、チャールズ3世国王(在位2022~  )の壮麗なる戴冠式でした。母と同じく、カリナンⅠ世のついた王笏とカリナンⅡ世が輝く王冠でその偉容を示した国王のお隣には、カリナンⅢ・Ⅳ・Ⅴ世がきらびやかに配置された冠がまぶしいカミラ王妃のお姿がありました。誠に失礼ではありますが、25歳で即位された母王とは異なり、戴冠式の際に74歳と75歳をすでに超えていた国王と王妃です。冠もかなり重かったでしょうし、長い儀式も大変であられたかと思います。

しかしお二人が黄金の馬車でバッキンガム宮殿に戻られ、集まった群衆に向かってバルコニーから手を振られているお姿は、お二人の冠を彩るカリナン・ダイヤモンドの数々とともに光り輝いておりました。世紀の戴冠式が終わると、宝飾品はすべてケアを施され、ロンドン塔の宝物室へと運ばれました。王笏を除き、カリナンⅡ世以降のダイヤは新たな王の治世において、毎年の議会開会式や公式行事における王妃の襟元で拝見できるでしょう。

戴冠式後の馬車パレード Photo by Charles McQuillan / Getty Images

そして次代のウィリアム皇太子とキャサリン妃がいずれ迎えるであろう慶賀において、それらは再び私たちの目を楽しませてくれることになるでしょう。

このようにロイヤル・アッシャーにとっての170年は、オランダ王室とだけではなく、英国王室とも、きわめて輝かしい歴史をいまの世も共有し続けているのです。

PROFILE
君塚直隆(きみづか・なおたか)
1967年東京都生まれ。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了。博士(史学)。専門はイギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治史、世界の王室研究。主要著作に、『立憲君主制の現在』(新潮選書、2018年、サントリー学芸賞受賞)、『エリザベス女王』(中公新書、2020年)、『貴族とは何か』(新潮選書、2023年)などがある。2022年9月のエリザベス女王国葬、23年5月のチャールズ国王戴冠式のテレビ中継で解説も務めた。

Text: 君塚直隆

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