オランダ王室より「ロイヤル」の称号を授けられた唯一無二のダイヤモンドジュエラー、ロイヤル・アッシャーが、英国王室研究家、にしぐち瑞穂氏に語っていただく『英国王室とダイヤモンド』〝ロイヤル・アッシャーが辿るチャールズ国王戴冠式までの軌跡″。第一回は英国国王エドワード7世から依頼を受けた世界最大のダイヤモンド原石「カリナン」カットに成功し、名実ともに世界最高のダイヤモンド・カッターとして認められるまでの秘話を語っていただきます。
昨年2022年9月19日、世界中が注目したエリザベス2世の国葬。伝統的かつ荘厳な式に魅了された人も多いと思うが、英国君主の象徴として棺の上に置かれていたレガリア。そのうちの3つが、大英帝国王冠、王笏、オーブ。
これらのうちの2つ、王笏と大英帝国王冠にセットされているダイヤモンドについて知る人はどのくらいいるのだろうか。
実は、世界最大のダイヤモンド原石“カリナン”からカットされたうち、王笏にセットされているダイヤモンドが一番大きく、大英帝国王冠の中央に輝くのが、2番目に大きいダイヤモンドなのである。
そしてこれらのダイヤモンドをカットしたのがロイヤル・アッシャー社だ。
1854年にオランダ、アムステルダムで創業し、1980年2011年の二度にわたり、オランダ王室から“ロイヤル”の称号を授けられた、唯一無二の名門ジュエラーである。
1902年に開発された58面体の“アッシャー・カット”をはじめ、数々の国際パテントを持つカットを開発し、今なお世界に名だたるダイヤモンド・カッターとしての地位を築いている。
そんなロイヤル・アッシャー社は、世界各国の王室、中でも英国王室とのゆかりは深い。
今年5月6日にはチャールズ新国王の戴冠式が予定され、オランダ王室の皆様の出席が期待されるほか、再び王権の象徴である、カリナン・ダイヤモンドがクローズアップされることは間違いないだろう。
それに先駆け、今回から戴冠式が予定されている5月までの5回に渡り、ロイヤル・アッシャーと英国王室との関係やジュエリーについてお伝えしようと思う。
まず初回は、当時、世界最高のダイヤモンド・カッターとして名を馳せていた、アッシャー社が成し得た世界最大のダイヤモンド原石、カリナン・カットの成功という偉大なる功績について語りたい。
南アフリカの鉱山、地表18フィート(3.5m)で発見された虹色の結晶
1905年、南アフリカのプレミア鉱山で発見されたのは、長さ約10.1cm、幅約6.35cm、深さ約5.9cm、重さ約3106カラット(621.2g)のダイヤモンド。
鉱山を所有するトーマス・カリナン卿にちなんで名付けられた、巨大な結晶”カリナン“のニュースは瞬く間に世界中の話題となる。しかし同時に、前代未聞の大きさの石ゆえ、ある問題にも直面。それは、高品質でこの大きなダイヤモンドをどうするべきか、ということ。
なにしろ、高額となることは明らか。果たして1人の買い手が見つかるのか、一方、市場で売りやすいサイズにカットするならば、ダイヤモンドの価値が大きく下がってしまう。また、カットするとしてもどのようにカットするのが良いのか。コレクターにとっては、恐らく原石のままが好ましいかもしれない、といったように。
その後、英国の植民地であった南アフリカからロンドンの販売代理店へその販売を委託されたが、当然のごとく、その移動手段にも細心の注意が払われることとなる。
終始、屈強な警備員が見張る金庫に入れられ、蒸気船で輸送したと見せかけ、その実、書留郵便でロンドンまで届けられたという。
そんな史上最大のダイヤモンドを、当時グレートブリテンおよびアイルランド連合王国の国王であり、インド皇帝でもあったエドワード7世が目にすることに。
それ以降も人々の関心こそ高いものの、2年間買い手が現れず。最終的に、第二次ボーア戦争で支配が及んでいたトランスバール(旧南アフリカ共和国)植民地政府が、英国への誠意と忠誠の証として、ダイヤモンド原石“カリナン”の購入を議会で可決し、エドワード7世に献上されることになった。
ところが、政治的体裁を危惧し躊躇するエドワード7世と、当時の首相ヘンリー・キャンベル=バナーマンも贈与には反対したが、(当時)植民地事務次官だったウィンストン・チャーチルの説得により、最終的に、贈与を受けたエドワード7世。一方のチャーチル氏といえば、お礼として贈られたカリナンのレプリカを、銀器に載せて客人に見せびらかして楽しんだというから、、、なんとも疑問を感じたりも。
兎にも角にも、66歳のお誕生日である、1907年11月9日、エドワード7世へ世界最大のダイヤモンドが献上された。
カリナンを受け取った国王は、原石のまま後世に残すことを希望しながらも、磨き上げられたダイヤモンドとして英国のクラウン・ジュエルの主役となる可能性も無視することが出来ず、すぐさま世界最高のダイヤモンド・カッターとしてその名を轟かせていた、ロイヤル・アッシャー(当時のアッシャー・ダイヤモンド・カンパニー)に相談。
翌月12月、3代目、ジョセフ・アッシャーと弟のエイブラハム・アッシャーがロンドンを訪問。“カリナン”を初めて目にした二人は、どのようにカットと研磨を施すのがよいのか分析して、この素晴らしい原石がどのように形を変えるのか、技術的なイメージを頭の中に描き、そのビジョンを国王に説明した。
そして、ジョセフ・アッシャーは、「輝いてこそダイヤモンド」とお伝えし、カットを進言。ついに、エドワード7世は、英国のクラウン・ジュエル用とプライベート・コレクション用として、カリナンをカットすることに同意したのである。
この時、国王と謁見したジョセフ・アッシャーこそ、4年前の1903年に、当時世界最大のダイヤモンド原石であった「エクセルシオー」(995.2ct)のカットに成功し、世界にその名を轟かせていた人物である。
実際にカットを施すべく、もう一つの難題となったのが原石の移動。英国からダイヤモンドの街アムステルダムまで、英国海軍の船が北海を渡って輸送されたと世間を騒がせつつも運ばれた箱はおとり用。実際にはなんと、エイブラハム・アッシャーがダイヤモンド原石をポケットに入れたまま、英国ハリッジ港からオランダ・フック港に船で渡ったというからびっくりである。
ダイヤモンド・マスターによる、
渾身のダイヤモンドカット
オランダ、アムステルダムに到着後アッシャー社では、異例の大きさのダイヤモンドのカットが可能な新たな道具作りに加え、会社の地下にはカットと研磨の全工程を行うための強靭な部屋と、警備員付きの金庫が設置され、工房を囲む厳重な警備が行われた。
1908年2月、カットに必要な、深さ1センチの切り込みを入れるためジョセフ・アッシャー率いるチームの昼夜問わずの作業は続いた。そして2月10日、アトリエで行われたダイヤモンドの公開カットには、世界最高のダイヤモンド・カッターが、最大かつ貴重なダイヤモンドカットに成功、もしくは失敗し粉々となるのかを見届けるべく、メディアや公証人など多くの観客が集まった。計り知れないプレッシャーの中、専用のハンマーで一撃を加えたジョセフ・アッシャー。実際には手中のナイフこそ折れるも、ダイヤモンドは無傷であった。
それから更に4日後の2月14日、新たな重く分厚い刀をもって、2029.9カラットと1068.8カラットの二つに割ることに成功。その後、当初の計画通りカリナン原石は、英国王室が所有する9個(合計1055.89カラット – 211.178g)と、96個ともいわれる小さなダイヤモンドへと姿を変え、その一部は、アッシャー社への報酬として与えられたと言われている。
アッシャー社で20年のベテラン、アンリ・コーによる研磨が施され、1908年9月12日にカリナンI世が完成。9個全て研磨し完成させるまでに、3人の研磨師によって、1日14時間作業をし、約8か月かかったという。同年11月、ついに9つの美しいダイヤモンドが完成した。
英国王室の至宝 9つのカリナン
1908年11月21日、ウィンザー城にてエドワード7世へ献上されたカリナンI世(530.2ct)とカリナンII世(317.4ct)。エドワード7世は、カリナンI世を“グレート・スター・オブ・アフリカ“(または、ファースト・スター・オブ・アフリカ)と名付け、王笏へ。カリナンII世を”セカンド・スター・オブ・アフリカ”(またはスモーラー・スターオブ・アフリカ)と名付け、大英帝国の王冠へセットするよう命じた。
それでは、英国王室が所有する、9つのカリナンを紹介しよう。
カリナンI 世
(The Great Star of Africa)
カリナン・ダイヤモンドの中で最大のダイヤモンドで、重さ530.2カラット。74のファセットをもつペアシェイプカット。5.89cm×4.54cm×2.77cmのダイヤモンドにはループが付けられており、ブローチとしてカリナンII世から吊り下げることも可能。
1908年当時、このダイヤモンドの評価額は250万米ドルで、原石のカリナンの推定価格の2.5倍であったとも言われている。エリザベス2世の国葬で棺の上に置かれていた英国王室のレガリアの一つ、王笏の上部にセットされている。通常は、ロンドン塔の「クラウン・ジュエル」にて保管されている。
カリナンII世
(The second Star of Africa)
こちらも英国王室のレガリアで、エリザベス2世の棺の上に乗せられていた、大英帝国王冠(インペリアル・ステート・クラウン)の正面中央にセットされている。大きさは4.54cm×4.08cm×2.42cm
クッションカットのダイヤモンド(66ファセット – 317.4カラット- 63.48g)で、スチュアート・サファイア、セント・エドワード・サファイア、ブラック・プリンス・ルビーに、2868個のブリリアントカット・ダイヤモンド、17個のサファイア、11個のエメラルド、269個のパールとともに、ブラック・プリンス・ルビー(大粒のスピネル)の下、大英帝国王冠の中央に配されている。
カリナンⅢ世
94.4カラット(18.88g)の、ペアシェイプカットのダイヤモンドで、9つのカリナンの中で最もメアリー王妃(ジョージ5世妃、エリザベス2世の祖母)のお気に入りだったと言われている。
自身のジュエリーコレクションに工夫を凝らし、戴冠式の王冠には、このカリナンⅢ世と、カリナンⅣ世を、戴冠式の王冠やインドの皇帝の継承を祝す、デリー・ダルバールのティアラにセットしたりとアレンジを楽しんでいた。生前エリザベス2世も同様に、カリナンⅢ世とⅣ世を組み合わせてブローチとして愛用されていた。
カリナンⅣ 世
スクエアカットのダイヤモンドで、63.6カラット(12.72g)
姉妹ダイヤモンドとして、カリナンⅢ世と一緒にメアリー王妃のプライベート・ジュエリーにおさめられていたもの(画像は、カリナンⅢ世と同じ)
カリナンⅤ世
18.8カラット(3.76g)のハートシェイプカットのダイヤモンド。
1911年 メアリー王妃がデリー・ダルバールで着用した、プラチナ製ブローチの中央にセットされており、カリナンⅤ世を際立たせるため、ダイヤモンドの周りをパヴェセッティングで彩ったデザインとなっている。
カリナンⅧ世のブローチに下げたり、カリナンⅦ世のペンダントを吊り下げることも可能で、これもメアリー王妃がよく身につけていたものといわれる。
カリナンⅥ世
マーキースカットで、重さは11.5カラット(2.30g)
通常、カリナンⅦ世と一緒に着用されるが、カリナンⅦ世ほど公の場に登場しない。カリナンⅧ世のブローチから吊り下げが可能で、デリー・ダルバール・パリュールのストマッカー(ドレスの胸元に装着するパネル状のアクセサリー)の一部として使用されていた。また、カリナンⅥ世とカリナンⅧ世を合わせて、もう一つのブローチにすることも可能。この時メアリー王妃は、カリナンⅥ世を、カリナンⅧ世のブローチから吊り下げ、ペンダントとして着用されている。
カリナンⅦ世
マーキースカットで、重さは8.8カラット(1.76g)
メアリー王妃はこのダイヤモンドを、デリー・ダルバール・パリュールの一部である、ダイヤモンドとエメラルドでできたデリー・ダルバールのネックレスに吊り下げるペンダントとして使用。
カリナンⅧ世
6.8カラット(1.36g)のエメラルドカットのダイヤモンドは、英国王室御用達ジュエラーのガラード社によって、カリナンⅦ世と一緒につけるブローチ、そしてデリー・ダルバールのパリュールの一部、ストマッカーの両方に適応できるダイヤモンドとなっている。
カリナンⅨ世
9番目の末っ子ダイヤモンドは、4.39カラットのペアシェイプカットのダイヤモンドで、1911年、ガラード社が製作したプラチナ製のリングにセットされている。
このように、歴史的なカリナン原石の発見も、世界最高峰のロイヤル・アッシャー社のダイヤモンドカット、研磨の技術、そして困難に立ち向かった勇気無くしては、本来の輝きをもって英国王室のクラウン・ジュエルとして存在しなかったであろう。
カリナン・カットの成功に対する賞賛と感謝の意として、エドワード7世から贈られたのが銀器。このシルバーボウルは、英国王室からアッシャー社へ示された、絶大なる信頼の象徴なのである。
PROFILE
にしぐち瑞穂(にしぐち・みずほ)
英国王室研究家、コラムニスト、スタイリスト。TVアナウンサーや雑誌等、スタイリストとして長年活躍。イギリスに魅了されロンドンに移り住み、帰国後は雑誌『25ans』やオンライン『ミモレ』で英国にまつわるコラムを連載。YouTubeチャンネル『ロイヤルスクープ』では王室情報を配信中。著書『幸せを引き寄せる キャサリン妃着こなしルール』(幻冬舎)
Text: にしぐち瑞穂 イラスト作画:コダママミ